自己紹介 ~大きな人生の転機となったオーストラリアでのワーホリの話

オーストラリアでのワーキングホリデーで

現在の「私」という

自分に対する信頼と自信の基盤を得ることができた私

ですが、

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何を隠そう、25歳までは地元から出たことのない、

自分の意見を言うことのできない私でした。

親が厳しくて、自分の意見を言おうものなら、

父親に「わしの言っとることが正しくないんかぁぁぁーー!」

と捲し立てられるばかりだったので、

いつしか自分の意見は

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言わないようにする子になっていました。

そのほうが平穏に過ごせるから。

私達姉妹が遊んでて、

自分の気に食わないことがあれば、

「怖い顔で怒鳴る」父親。

それが何度も何度もありすぎて、

人に「怖い顔で怒鳴られる」と

涙が勝手にあふれてくる。

頭がパニックになって、

自分の言いたいこともも上手くまとめられない。

ただただ泣くだけしかできない・・・

今、昔を思い出しても、

よく泣いてたことが思い出されます。

きっと、楽しいこともあったはずなんだけど、
その印象が強烈すぎるんですよね。

だから、父親に何か言われたら

「はい、それが正しいです」

と、そう思ってなくても言うようにしてました。

だから、

親にとっては手のかからない子だったと思います。

母親には、

「母さんだって○○で苦労したんだから、あんたもおんなじこと経験しんさい!」って

「え?!」って思うことをよく言われたり、

推薦でとある公立大学の受験に向かう私に、

「落ちればいいのに・・」って捨て台詞を言われたり。

(金銭的な面で、県外ダメ 私立大なら短大のみ、 4大なら国公立のみ という超過酷条件を提示されていたにもかかわらず、果敢にも”県外”の大学推薦枠でちょっとした抵抗をしてみせたのですw)

本気で、私は愛されてないって思ってました。

2階の出窓から下を眺めながら、

「私ここから飛び降りたら悲しんでくれるのかなぁ」なんて、

ふと考えてる私もいたり。

だけどね、

社会人になって、自分でお金を稼げるようになり

そんな私でも親のありがたみを少しず感じ始めました。

お金を稼ぐことは簡単ではない。

子供3人育てるってやっぱり大変だよな、って。

だけど、

まだまだ親に本音を話せるような感じではない。

私にとって、これが最大の難関ポイントだったんです。

「親に自分の意見を伝え、本音で話す」

彼氏が出来ても勿論話せるわけがなく・・
そそこそ隠れて遊んだりしてました。

だから余計に怪しまれる、怒られる、尾行されるw。
まぁ、負のループ・・

そんな私だから、

自分に自信がなくて、
人と一緒じゃないと安心できなくて、
ものスゴク寂しがりやで、

25歳までの私は本当に本当に幼い自分だったと思います。

そんな私を変えるきっかけが得られたのが、

オーストラリアでのワーキングホリデー

人生で多くのことを

「自らの決断で、自らの責任の下、行動に移した」


という事実を体験できたのは
恐らくこのオーストラリアでのワーキングホリデーが最初だと思います。

といっても、

オーストラリアに渡る前に働いていた
東京での外資系企業勤務時代も
25歳までの私よりかは多少は進歩してました。

友達が一人も居ない東京に行くという決断、
外資系企業での自分への挑戦、

これもスゴク大きな決断だったけど、

それよりも、
もっと大きく自信を得ることが出来たのが、
オーストラリアでのワーホリだったんです。

だって、

異国の地で全て自分で解決していかなくちゃいけない、それも英語で。

ハードルは決して低くない。
ブログに書いてる旅日記を読んで頂いてたらわかると思うのですが、

嫌なことにも直面するし、
やりたくなーい!ってことにも直面するけど、
今向き合ってる試練は
「何か意味があって自分のところにきてるんだ」

って、その時向き合っていることに全力を注いでいくと、
絶対に何か得るものはあるんだってことを

疑似体験して頂けてたら嬉しいです。

それら全ての小さな自信という点と点が1つづつ繋がって、

大きな「成長」となり、

今の私を形成してくれています。


おまけに、英語力もいつのまにか格段に上がってました。
(おまけに、と今は言いながらも、当時は英語を話す、日本語を話さない、ということは徹底してました)

だから、私はこのブログを通して、
ワーホリって使い方によっては、

本当に素晴らしい体験と気づき、成長を自分にもたらしてくれるよ!

っていうことを、少しでも多くの皆さんにお伝えしたいんです。

日本では、まだまだ世間一般的に、ワーホリって「遊び」だと捉われがちですが、

「遊び」にするのも自分。
「学び」にするのも自分。

全ては自分のワーホリに対しての目的意識と、それを持続させるだけのマインド、そして後は自分の行動のみ。

こうやって、私は自らの責任の下、自らの決断で、自ら行動に移すということを実際にして

自分一人でもできるんじゃん!!
自分ひとりでもヒッチハイクできちゃったじゃん!

みたいな自信を少しずつ得ていったんです。

自分のしてきたことに対しても、
その都度全力だったし、
だからこそ自信をもってワーホリのことを人に伝えられる。

ワーホリが「遊び」ではなくて「学び」だったことが相手に伝わるように話せるようになってたんです。

ここで1つ大事なこと、

「心から遊ぶ事、楽しむこと」がワーキングホリデーの目的になっても


それがその人のやりたい事で、
人に自信を持って話すことが出来る事なのであれば、

それはそれで、立派なワーキングホリデーの目的になります!

・帰国してから就職に役立たせることが出来るかできないか、

・英会話力があがったかどうか、

だけでは、人それぞれの幸せは図れませんよね。

「幸せ」という定義は人それぞれ違う。

ワーキングホリデーが大成功だった!と言えるかどうかは、

自分のワーホリでの体験を自信を
持って周りに話すことができるかどうか

で図ることができるかもしれません。

◇◇

自分に対する大きな自信を
オーストラリアでの体験で得ていた私は、
両親にも自分の意見を
少しずつ言えるようになっていました。

そして、あれだけ厳しかった父親が、年齢のせい?ですっかり丸くなってたおかげもあり、私の意見を聞いてくれ(これ、大進歩!)、会話が成り立ったことが本当に嬉しかった。

出来ちゃった結婚だった私は、

「娘がNZから帰国したと思ったらら妊娠してた!汗」

なんてこと知ったら絶対物凄い怒鳴られる・・とかってめちゃくちゃ心配&怖かったけど、父親の予想外の冷静な反応に逆に驚いたりした。笑

そんな風に、

少しずつ自分の幼少時代からのトラウマを、

自ら行動に移すことで得られる自信で解消させることができて、

親との関係性向上にも少しずつ繋がっています。

(でもまだまだ完全にではないです)

当時は、トラウマを解消させるために!!
とか全く考えてなかったけど、

自分に自信が持てるようになっていたら、
自然とできるようになってました。

まだまだ100%ではないかもしれないけど、
それでも25歳までの私に比べたら
大大大躍進!!

勉強せずにTOEIC885点をとるまでの道のりはこちらから
英語はあくまでもツールだ、
ということを痛いほど痛感したことなど書いています。





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